もうすぐ敗戦後70年

人は残酷な生き物で、他人の不幸を楽しむ本能がある。
件のドローン飛ばしニコ生少年の事件なんかは好例で、他人が人生を踏み外す様を観察してwktkしたい人たちが金を提供して起こしたようなもんだ。カイジ一本橋と同じ構図だ。

んで、タイトル。
時節柄、朝夕のニュースで戦争関連のニュースを多く目にする。
ほとんどは「風化していく戦争の記憶をどう残すか」ってテーマであるように思う。私はそのテーマに沿った取り組みは無駄なんじゃないかと思っている。

コンピュータゲームやら映画やらのフィクションで考えてみる。
どーんとどでかい大砲をぶっ放して、敵が大爆発する。
「わぁ、すげえ!楽しい!」これって本能でしょ。

映像をもっとクローズアップして、爆発で吹っ飛ぶ人をもっと細かく描写してみたら。もしそれがmobキャラの顔なら別に心は痛まない。派手に吹っ飛ぶほど楽しい。

mobキャラじゃなくて、自分や自分の大切な人だったらどうだろう。そりゃちょっとキツいはずだ。リアルであればあるほど辛いだろうし、現実との境目が分からなくなってしまったら、最後は精神に異常を来すところまで行くだろう。

戦争で悲惨な体験をした人の話を伝えるというのは、この「リアリティを高める作業」なんだと思う。だって、そんな悲惨な目に遭った人はそこで産まれたトラウマを抱えて後の人生を歩まれている訳ですから、それがもしキチンと聞き手に伝わって「自分の話」になっちゃったら、聞いた方も移入没入して辛くなるでしょ。
上手に伝わらなければ、それは「mobキャラが吹っ飛ぶ楽しい話」に過ぎず、あまりにも上手だと「精神に異常を来す」ところまで行き着く。

んで結論はと言うと、戦争の悲惨さを伝えることにエネルギーを注ぐよりも、戦争を回避するメカニズムを考えることの方が重要だと思うわけです。
人類は歴史上どんな理由でどういう戦争を起こしてきたのか。どういうifがあれば回避できたのか。もしそうだったら歴史はどう変わっていたと思われるか。
「戦争」と聞くだけで両耳塞いで絶叫する人(&wktkする人)を増やしても仕方ないでしょ。

と、太平洋戦争のアーカイブ映像を見てwktkしている自分を蔑みながら書きました。あと、思考がアスペ的だなあという自覚はあります。