憂鬱な選挙がまたやって来る

苦情を言うなら、敗戦と判っていながらこの戦いを起した軍部に持って行くより仕方がない。しかしまた、更に考えを致せば、満州事変以来の軍部の行動を許して来た全日本国民にその遠い責任があることを知らねばならない。

我が国民は今や大きな反省をなしつつあるだろうと思う。その反省が、今の逆境が、将来の明るい日本のために大きな役割を果たすであろう。それを見得ずして死ぬのは残念であるが致しかたがない。日本はあらゆる面において、社会的、歴史的、政治的、思想的、人道的の試煉と発達とが足らなかった。万事に我が他より優れたと考えさせた我々の指導者、ただそれらの指導者の存在を許して来た日本国民の頭脳に責任があった。

60余年前に、将来の世代のために粛然と死んでいった若人の想いに、悲しいかな何ら応えられていない現状を、選挙権を得た18年前から遡って一有責者として詫びなければならない。
しかし現状の民主主義においては、誰にどう投票したとて何ら変わらないだろうとも思う。そしてきっとその憶測は正しい。

コミュニズムアナーキズムニヒリズムも日本では何も生まなかった。
では誰に学べば良い?岡本太郎高杉晋作足利尊氏?琵琶法師?聖徳太子

とか考えてる時点で、多分自分はビジョナリーになれない。
託す誰かが欲しい。他力本願なんて大嫌いだったのに、ね。