いつか、アンジーの三戸華の介さんが書いてました。
「ラブソングは、歌い手が恋する相手に贈るもの。愛しい誰かを想い、ラブソングが生まれる。そこにあるのは一対一の恋愛関係。独占欲に代表される、いわば醜い愛。
そして、歌い手と聴き手の関係は一対多。多の側は歌い手との一対一の関係、つまりは恋愛を想起し、そこでもまた醜い愛が生まれる。

だが、その歌が歌い手の手を離れ、その歌の美しさ故に人々に歌い継がれた時、ラブソングは多対多の愛、つまりは博愛へと旅立つ。
ほとんどのラブソングはその領域に到達できない。だが、どのラブソングも博愛を夢見てゆりかごを離れていく。だからこそラブソングは哀しく切なく美しい。」

上田現さんが死んで5年と2ヶ月と2日目にこのエッセイを想い出したので書き残しておきます。