遊戯

「私は、林豪どのが、この屋敷に私を招いてくれる意味が、またも、わからなくなった。いったい、この果てはどこにいきつくのか」
「堕落する」
林豪は一言で言い、自分で手前をたてて、盛親にすすめた。盛親は、茶碗をつかんだ。林豪は眉をひそめて、
「喫茶は作法どおりにするがよい」
「なぜ、作法どおりにせねばならぬ」
「遊戯じゃ。人には欲望がある。欲望というのは、もともと生死につながっている。めしを食い、女を抱き、憎い者を殺し、金をもうけ、土地をひろげ、人はその生死の欲望から片ときも離れ去るわけにはいかぬ。遊戯とは、生死の欲望から、人をわずかでも離れさせるための方術じゃ。遊戯には、さまざまのとりきめがあり、いずれも生死の大事と関係がない。茶の作法も、男女の遊びの作法も、遊戯にすぎぬが、遊戯のとりきめにおのれを縛りつけるときのみ、人は生死の欲望から離れることができる。作法どおりにするのがよい」
「作法のあげくの果てに、なにがある」
「堕落がある」

         (司馬遼太郎「戦雲の夢」)